今から約五十年程前、私が小学二、三年頃だったと記憶しているが、中村久子さんと出遇ったことがある。拙寺の居間だった。両手両足のないことにびっくりしたというよりは、その身体にとても興味を持った。見ているだけでは充分でなかったのだろう、私は久子さんに、その断端の両腕に触らせてもらった。それはまるくて(ちょうどテルテル坊主の頭のような)、やわらかくて、暖かくて、ピンク色をしていた。余分な肉片はなく、ピーンと肉が張っていて、先細りでなく先太りであった。思いっきり両腕を使った筋肉だった。私は両手で幾度となく久子さんの断端の両腕を撫でまわした。幼かったからできた行為であった。久子さんは、私の方に両腕をグイと差し出し、やさしい眼で私を見つめておられた。後にも先にも、久子さんとお会いしたのは、この時の出遇いだけであったが、今でもその光景をはっきりと覚えている。
今般、中村久子さんの生涯を編集するに当り、その両腕をもって生きぬいた、心の中味に触れさせていただくことになった。編集として感じとってことは、”逃げ場を持たない人間”の絶体絶命のスゴミであった。常にそれに圧倒されつづけて編集した。
逃げ場がないから、それを受けて立つ、受けて立ったところを”宿業”と感じ、受けて立ったが故に”生かされてあることの恩”を知った人生であったと思う。両手両足がない故に、母の愛が自分一人に注がれ、み仏の慈悲を一人じめにしていた事実に、久子さんは手足のない業の身を、”賜った身”として感謝していかれた。
”業の深さが、胸のどん底に沁みてこそ、初めて仏のお慈悲が、分からせていただけるのです。業深き身であればこそ、真実、お念仏が申させていただけるのです。”この久子さんの人生を通してのお言葉を通し、本書を読まれる方々が、更に一歩自分自身を深めるご縁にしていただきたいものと念ずる次第です。
真蓮寺住職
中村久子顕彰会会長
三島多聞
(花びらの一片 はじめに より)
目次
第1章 花びらの一片 中村久子
第1節 種々の境遇と戦って来た私の前半生(1920年・大正9年 女子24才執筆)
第2節 手のない案山子(1944年・昭和19年 女子48才)
第3節 無碍の道(1965年・昭和40年頃 女子69才執筆)
第4節 花びらの一片(1965年・昭和40年 女子69才講演)
第2章 中村久子の生涯 三島多聞 編
生まれて
生きて
生かされて
第3章 宿業の身にうながされ 宮城 顗
中村久子年譜